近代車両の登場
昭30(1955).9.これまでのボギー車とは全く違ったすっきりしたスタイルの市電が登場し、市民の目を見張らせた。188形2両(188・189)がそれで、パンタグラフ集電、自動ドア、大形方向幕、押し出し式運転台窓、その両脇の上昇式窓、手動ワイパー、ヘッドライト上のナンバー等、当時としては随分目新しい感じの車両であった。にもかかわらずこの様な中途半端な形式をもらったのは、前年に増備された180形と同一設計で増車する予定であったのが急遽変更されたためであるという。
近代的なスタイルの188形 |
最大寸法12,000mm×2,301.6mm×3,650mm(パンタグラフ高さ)、自重15ton、定員70人は180形と全く同じ。車体は東洋工機、電動機は東洋電機のSS-50(38kW)2個で性能面ではこれまでと全く変わりない。ただ台車が住友金属のFS-74となり、これまでの板バネがコイルバネに変わった。一両当たり約640万円で、昭31(1956).10.15に竣功届が出されている。
190形は188形と同一設計 |
昭32(1957).になると190形5両が相次いで登場した。まず同4.に191・192が、続いて同10.に193〜195入線した。性能、外観、要目などは188形と全く同じなので、188形の増備という形で届け出がなされている。ただ異なる点は車掌台の上に新たに方向幕(後に系統幕となる)が設けられたぐらいである。一両当たりおよそ860万円(193〜195は約950万円)で、昭32(1957).9.24(同昭33(1958).1.7)に竣功した。
200形は10両登場 |
昭33(1958)〜34(1959)年度には200形が5両ずつ(200〜204・205〜209)登場した。室内灯が蛍光灯となり、オルゴールのサービスも行われ、市民の期待を集めた。オルゴール付き路面電車は全国でもこれが初めてということであったが、電源が発車ベルと共用であったためにあまり使われず、昭35(1960).に取り外してしまった。また、車内放送設備が取り付けられたのもこの形式が最初である。この車、当初はラッシュアワーには入線せず、当局がいかに大切にしていたかがうかがえる。
最大寸法が12,000mm×2,305.6mm×3,805mm(パンタグラフ高さ)、自重15ton、定員70人。車体は東洋工機、電動機は東洋電機のSS-50(38kW)×2。外見上の相違としては、運転台正面窓が180形の様に2枚となったことと、尾灯が方向幕脇に移ったこと、ヘッドライトが大形になった(150W)などがあげられる。台車には200〜204が近畿車両のKD-201、残りが190形と同じくFS-74である。一両当たり945万円で、昭33(1958).11.18付で200〜204が竣功、昭34(1959).11.に205〜207が、昭35(1960).3.に208と209がそれぞれ増備されている。
国体輸送のため登場した350形 |
昭35(1960).熊本で国体が開かれた。この乗客を輸送するのが目的で登場したのが350形6両(351〜356)である。要目などは200形と同一で、外観も200形に近い。相違点といえば車掌台窓が小窓に分割された点、運転台脇の窓が上下とも可動式になった点、屋根にガーランド形ベンチレータを8個持っている点位である。車内は照明が40Wになりスピードメータもつけられた。台車は351〜353がKD-201、他はFS-74で200形と同じ。一両当たり800万円で、昭35(1960).11.16竣功。購入後すぐに353・352・354〜356と入線したが、351だけは9月の夏期国体直前まで出場しなかった。
なお形式が200形からずっととんだのは、交通局長の意向により、昭和の年数を冠してから順に追っていったためであり、この後登場した380・390・400・5000の各形式も同様の意図でつけられた。
この時期の車両はいずれも昭41(1966).〜44(1969).にかけてワンマンカーとなった。