市電ストライキ

 開業1年目を順調に過ぎた市電は、2年目に市電のストライキという思いがけない出来事が発生した。この事件の一部始終は「熊本市政五十年史」にかなり詳しく記述してあるので、ここでは概略のみにとどめることにする。

 市電初のストライキが起こったのは、開業後1年7か月目の大15(1926).2.末のことで、3.1には16か条にわたる要求を市電当局に提出し、105名の従業員中約80名が突如としてストライキに出た。当局はその応急対策として監督、補充員、事務員らを総動員し、運転台数を18両から15両に減らして営業を続け、市民交通の上での支障をできるだけ少なくし、一方で問題の解決に努力した。その結果この騒ぎも3.2夜には円満解決、3.3にはスト本部で解散式、調停に努力した2人は当局代表者と共に関係各方面に挨拶し、3.4からは争議参加の従業員も出勤して市電も正常運転に戻り、事件は解決したかに見えた。

 しかし表面上は解決したものの、各関係当事者間の感情は複雑なままで、従業員間のもつれから辞表の提出など紛争は依然として続き、市電の将来は危ぶまれた。3.9には臨時市議会を開いて、市議会議員・電車委員の連合協議会を開き、病中の松尾電車部長も出席して紛糾経過報告などが行われたが、その結果交通機関に支障をきたさぬ範囲で断固たる処置をとる様に当局に一任された。

 結局内部の秩序維持の上から若干名の解雇処分をおこない、また事件以来の功労者に対しては少額ながら昇給や手当支給がなされた。 この様にして市電ストライキは内部刷新を実行して終わり、松尾電車部長は責任者として進退伺いを提出したが、辛島市長は自分も同様に全体の責任者であるから、自分だけで処理すべきでないとして、3.16に参事会を開いたが、進退伺いはとうとう受理されなかった。