開業当時の事故
開業当初は、乗務員や市民の不慣れということもあって事故が多発した。
当初は坪井川沿いを走っていた軌道 この右側のカーブでよく脱線した
(富重写真館撮影)
熊本市民歓呼の中開通した市電は、その初日から相次いで脱線事故が起こった。花畑町から公会堂前へ向かい、直角に曲がって坪井川に沿って走っていた幹線のうち、この公会堂前のカーブで起こった物で、初日だけで十数回もあった。その中にはカーブでレールから飛び出した市電の前部が土手を越え、あわや坪井川に転落というものもあった。が、幸いなことに乗客らにケガはなかった。その脱線の原因は、軌道敷設工事を急いだためにこのカーブの軌道幅がほんの少し狭くなっていたのと、幹線の移設がすでに計画されていたので、この付近には古いT形レールを用い、ガードレール(護輪軌条)を取り付けていなかったためとわかった。このカーブはその夜のうちに突貫工事で改善された。
脱線事故はこの他にも頻繁に起こった。その最大の原因は、当時のレールは溝形を使っていたため、その溝に砂利が挟まっていたためである。その対応策として、溝さらい専門の軌道係員が特製棒でさらいながら軌道を巡回していたということである。
交通局に保存されている「大正十三年八月以降電車事故報告綴」によると、開通後5か月間に45件の事故が起こっている。そのうちに脱線事故はわずか2件しか記載されておらず、脱線のほとんどが乗務員が自力で復旧しているために件数が少ないものと思われる。脱線したら、方向の変えられるジャッキで持ち上げてレールに戻したり、ポールが架線から外れていない場合は、アース線を車輪につないで脱線したまま走らせ、その勢いでレールに戻すという芸当もやり、短時間内に復旧できたというから、乗客からの苦情も少なかった。
人身事故も開業当日に起きている。16:25、草葉町の電停付近で、78歳の老女が軌道を横断しようとしたので電車は急停車したが、距離が短かったためにフェンダーの左端に接触し、打撲傷を受けたのであった。
続いて7日19:00、水道町で電車と自動車が衝突。電車のフェンダーとバンパーが曲がり、さらにガラスの一部を破損。ケガ人はなかった。10日22:40、建丁〜廣町で36歳の主婦と接触。応急治療を受けたが大したことはなかった。13日17:30、古桶屋町〜祇園橋のカーブで50歳の主婦と接触、軽傷ですんだ。18日14:05、建丁〜廣町で直前横断の48歳の役所小使とフェンダーが接触し、倒れて軽傷。28・29両日にも通行人の不注意による直前横断や軌道接近による事故が起きており、乗務員は減点や訓戒の処分を受けた。
大13(1924).12.22には最初の死亡事故も起きている。16:30頃、水前寺駅前〜水前寺(現・国府付近)で、自転車に乗った九州学院の16歳の少年が電車と併進していたが、電車の2m直前の軌道を急に横断。市電は急ブレーキをかけたが間に合わず、少年は前部フェンダーの下敷きとなって即死した。
以後市電による人身事故は、毎年10件前後が発生した。