第二期線の敷設計画
第一期線開通と同時に、すでに敷設が予定されていた新町方面への速成運動を皮切りに、各方面で第二期線の敷設運動が高まり、関係各地の速成陳情書が相次いで提出された。しかし市当局では、創業間もないことでもあり未だに十分な成績がわからないため、直ちに第二期線計画に着手するわけにはいかなかった。もっとも第二期線とは言っても、第一期線計画路線の未成線にすぎなかった。いずれにせよ即時敷設の要望は各地で高まり、第一期線開業後半年余りを経た大14(1925).3.31には新町方面の住民47名、春竹方面の住民68名から、市電第二期線の即時敷設の陳情書が市議会に提出されたのである。これを機に市民の第二期線敷設の要望の声はさらに一段と高まった。当時の高橋市長としても、すでに市議会で「電車第二期線については常に心がけており、当局の計画や関係方面との交渉さえ進む様であれば、共進会開催中であっても市議会に対し建設計画案を提出する。」と明言していた手前もあり、電車部では調査が着々と進められていた。
1. | 春竹線 | 花畑町(二十三連隊跡)〜追廻田畑町〜下通町〜新鍛冶屋町〜代継橋〜春竹駅前 |
2. | 上熊本駅線 | 花畑町(同上)〜公会堂前〜洗馬橋〜塩屋町〜新町二丁目〜蔚山町〜新桶屋町〜段山町〜上熊本駅前 |
3. | 黒髪線 | 浄行寺町終点〜東坪井町〜中坪井町〜西坪井町〜内坪井町21番地 |
4. | 京町線 | 市役所前〜千葉城町〜新堀町39番地先(加藤神社) |
5. | 春日町線 | 熊本駅前終点〜(県道松尾線)〜萬日町 |
6. | 呉服橋線 | 呉服町〜呉服町一丁目〜呉服橋〜新町三丁目〜新町二丁目 |
まず、同年6.29の市議会に「電気軌道敷設路線の件」の議題が提出付議され、満場一致で可決された。この時の路線計画は上表の様なものであった。その後も市議会・市当局では第二期線についての研究を重ねたが、工事費用ならびに都市計画道路との兼ね合いもあって、この路線計画は変更されてしまった。敷設意欲はあるのだが、経費約250万円に対する起債関係が主務省から容易に認可されないので、大15(1926).2.4松尾電車部長は政府当局の了解を得るため上京し、見通しのついた後第二期線敷設計画書に関する市議会提出議案の作成に取りかかった。しかし、着手路線の決定や経費などの調査に意外と日時を要し、折しも起こった市電争議によって計画案はさらに遅れてしまった。松尾部長は同年5.10をもって助役の任期が満了となるため、この重要人物に去られては困るというので、辛島市長はかねてからの腹案であった電車部と水道部を合併し、電気水道局を設置した。局長には市長の推薦と市議会の承認により、松尾元部長が就任した。
松尾局長が第一線に立ち、すべての計画準備も整い、市電第二期線に関する議案が大15(1926).6.16の市議会に提出された。さすがに市民注目の議題であるため、傍聴席には多くの市民が詰めかけ、定刻前には早くも超満員となった。提出された計画案は詳細にわたって説明され、そのいずれも異議なく可決され、第二期線敷設計画は実施の運びとなった。
その計画案の大略は、次のとおりであった。
1.路線 | ||
幹線変更線 | 辛島町〜市役所前 | 複線 0.58mile |
春竹線 | 辛島町〜春竹駅前 | 複線 1.05mile |
上熊本線 | 辛島町〜上熊本駅前 | 複線 1.73mile |
黒髪線 | 浄行寺町〜子飼橋 | 単線 0.30mile |
2.用地買収費家屋移転料 | ||
用地買収費 | 840,961円 | |
家屋移転料 | 471,573円 | |
計 | 1,352,534円 | |
3.軌道及び電路・車両費 | ||
幹線変更線 | 軌道費 | 89,026円 |
電路・車両費 | 10,290円 | |
春竹線 | 軌道費 | 195,735円 |
電路・車両費 | 131,046円 | |
上熊本線 | 軌道費 | 395,001円 |
電路・車両費 | 191,505円 | |
黒髪線 | 軌道費 | 21,947円 |
電路・車両費 | 5,096円 | |
計 | 軌道費 | 701,709円 |
電路・車両費 | 337,937円 | |
4.設計監督費 | 49,710円 | |
5.予備費 | 40,000円 | |
総 計 | 24,441,890円 |
路線別にみる経費は次のとおりである。(財源としては公債発行を220万円とし、残りを土地売却代と既設電車収入で賄う。)
路線名 | 費 用 |
幹線変更線 | 447,899円 |
春竹線 | 686,348円 |
上熊本線 | 1,255,270円 |
黒髪線 | 82,373円 |
計 | 24,441,890円 |
大15(1926).9.に第二期線工事施行および起債認可の申請が行われた。段山町〜上熊本駅前を除いた第二期線の工事認可が翌昭2(1927).4.8に、起債認可は同年7.9にそれぞれ下りた。このうち幹線変更線は同年10.1から、また残りの路線も昭3(1927).6.より用地買収と同時に工事を開始した。
公会堂前の幹線変更線工事(富重写真館撮影)