第二期線の開通
第二期線のうち、まず昭3(1928)3.2に幹線変更線の一部(花畑町[新]〜市役所前0.6km)の上り線が営業を開始した。この区間は二十三連隊跡地であったため土地買収には支障がなく、他路線よりも着工が早かった。しかし残りの幹線変更線の工事が終了していないため、暫定措置として花畑町仮線(花畑町[旧]〜花畑町[新]0.1km)を設け、旧幹線とつないで営業を開始したのである。当初3.1に新線の営業開始を予定していたのだが、運行許可が当日午後に遅れてしまったので、新線運行は上りが3.2、下りが3.3となった。これにより旧幹線の一部(花畑町[旧]〜(坪井川沿い)〜市役所前0.6km)が廃止された。 次いで同年12.22に路線が短い黒髪線(浄行寺町〜子飼橋0.5km)が竣功し、12.26から営業を開始した。
1924.8.1〜1928.3.1 | 1928.3.2 | 1928.3.3〜1929.6.10 |
1929.6.11〜6.12 | 1929.6.13〜6.19 | 1929.6.20〜 |
さらに昭4(1929)6.11には幹線変更線の残り(辛島町〜花畑町[新]0.3km)の上り線が開通、下り線も6.13には運行を開始した。これに伴い、旧幹線の残りの区間(辛島町〜花畑町[旧]0.2km)と花畑町仮線が撤去された。
最後に同年6.15に春竹線(辛島町〜春竹駅前1.7km)と上熊本線の一部(辛島町〜段山町1.4km)が竣功し、6.20から運輸を開始した。しかし上熊本線の残りの区間(段山町〜上熊本駅前1.3km)は、藤崎台の陸軍練兵場の一部切り取りと井芹川改修工事、耕地整理事業の関係で、軌道敷設どころか道路さえ造ることができず、開通は後年に持ち越された。
市電二期線の開通式は同じく6.20に、二十三連隊跡地で市内外の名士千数百名を招待して盛大に行われた。また花咲爺や松に鶴などの花電車4両も市内を走り回った。市内横断線の完成ということで、沿線関係のみならず全市をあげての祝賀催しは熱狂的であった。
市電第二期線の完成は交通上画期的な現象を表し、近代都市としての外形を整えた。道路は9間半〜12間(約17〜22m)に広げられ、また洗馬橋をはじめとする4つの橋の架け替えで、これまで何となく閑寂な感さえあった地区をも活気に満ちた町にしてしまった。