系統板(初代)

KT207-B1
交通局前に停車中の207号

 系統番号が設定され、車両の前面に系統板を取り付けるようになったのは、1957.5.になってからである。このときに作られたのは下図のようなものである。残念ながら現物が現存していないと思われるため、大きさは写真から推定すると、一辺が40cmあまりではなかったかとみられる。この時系統番号が設定されていたのは1〜5までで、実際に取り付けられたのは1〜4までであった。5については代継橋〜南熊本駅前の運転で、1953.6.26の水害で分断されていた路線であったため、また川尻線は独立した路線であったため系統番号は与えられなかったため取り付けられなかった。


最初に作られた系統板

 3と4は当初、前面に「新町廻り」「広町廻り」と書かれた経由地表示板と併用していたが、後に両者が一体となった下図のような改良型に変わった。


改良型の系統板

 1959.4.1になると代継橋が復旧し、5が市内の他線区に乗り入れるようになったために系統板が取り付けられた。(実際に5号系統が運行されたのは1959.4.〜9.と1960.10.〜1961.2.のわずか10か月余りであった。そのため5の系統板をつけた車両の写真がどこにも見あたらず、最近までこの5の系統板の存在が疑問視されていたが、1960.12.20付けの熊本日日新聞に写真が掲載されていることがわかり、その存在が確認された。)
 また同日から川尻線の系統も辛島町まで延長されたため、こちらも系統番号7が与えられ、系統板を取り付けた。
 6が欠番なのは、当初南熊本駅前〜上熊本駅前に運行する予定であったが、諸事情で運行が延期されたためである。6の登場は国体輸送のために1960.10.10に6の運行が開始されてからである。


追加された系統板

 なお、この頃までに2〜4も下図のような単純な塗り分けのものになったが、一斉に切り替わったわけではなく、しばらくは併用されていたようである。1962.に撮影したと思われる写真に古い塗り分けの2の系統板が見られる。


単純な塗り分けの系統板