熊本市電の広告電車とPR電車の概要
●広告電車とは
熊本市電にはいわゆる「広告電車」と呼ばれるものが存在します。これは経営安定のために車体全面または一部に直接ペイントやカッティングシートを施して、その内容をPRするものです。
熊本市電の場合、広告電車(広義)は便宜上次のように区分することができます。
(1)広告電車(狭義):
車体に直接ペイントまたは貼り付けたもの。
民間企業の宣伝のために使用。
広告料を取る。
平成元年3月末廃止、平成11年4月復活。
(2)PR電車:
車体に直接ペイントまたは貼り付けたもの。
公的性格が強い機関、イベントのPRに使用。
塗装費だけ負担してもらい、広告料は取らない。
景観条例対象外で、平成元年度以降も運行。
このサイトでは、(1)の電車を単に「広告電車」と呼び、(2)の電車は「PR電車」と呼んで区別することにします。
●広告電車とPR電車のはじまり
熊本市電で公式に「広告電車」として登場したのは、1971年1月にさかのぼります。当時は「カラー電車」と呼ばれ、デザインも「とにかく目立つもの」が採用されていました。
実はこれ以前に1969年4月から3か月間、4両の電車がまつりのPRのためにカラーリングされ、スポンサーの広告が大きく描かれたものがあります。これを「広告電車」ととるか、「PR電車」ととるかは判断が難しいのですが、「公的イベントのPRのためにスポンサーを付け、広告収入はなかった」ということで、ここでは「PR電車」に分類しました。
●広告電車全盛
もともと広告電車が登場した背景には、赤字に悩む熊本市電の経営を少しでも安定化させるための副収入を得るのが目的でした。そのため、以後20年間にわたって、延べ100両あまりの電車が広告電車として活躍しました。
●広告電車の廃止
1988年9月7日、熊本県は観光都市・熊本のイメージアップのため、屋外広告物条例とその施行規則を改正しました。これを受けて交通局では、平成元年4月1日から規制対象外となっている小さな車体広告も含めて市電の車体広告を自主的に全廃しました。
しかし、公的性格が強い機関やイベントのPRに使用するものについては例外とし、この間延べ14両がPR電車として走りました。
●広告電車の復活
車体広告廃止から10年。この間の交通局の経営状態は決して良くはなく、独立採算性や経営安定化という点からも市電の車体広告を復活するべきであるとして、平成11年4月1日から広告電車が復活しました。これは以前のようにデザインそのものが野放しではなく、事前審査で「景観を損なわない」ことが前提となっているため、キャラクターを使用したデザインか、シンプルなデザインが主体となっています。