昭和40年代の市電 注釈

広告電車の始まり
 民間会社の広告ではなく、催し物などのPRのために車体に直接書き込んだり塗色したものは昭29(1954).10.の交通観光大博覧会や、昭44(1969).4.〜6.の市制80年・水辺動物園完成記念の動物博(3.15〜6.1の間走り、131〜134の4両を使用。スポンサーが付いた)等がある。

蔬菜電車
 終戦間際の昭20(1945).3.22の12〜14時の間、某工場前〜河原町約3kmで蔬菜電車の試運転を行った記録が残っている。輸送量は一両当たり2,000貫であった。

代替バスの動向
 平6(1994).3.31現在、4号系統の代替バスに相当する23系統は平日24.5往復(一部迂回路線含む)、日祝15往復(同)、6号系統の代替バス相当の24系統は平日20.5往復(同)、土曜日17往復(同)、日祝15.5往復にまで減っている。

子飼橋線の名称
 子飼橋線は通称で、正式には幹線の一部(水道町〜浄行寺町1.2km)と黒髪線(浄行寺町〜子飼橋0.4km)である。