大阪さん

 熊本市電では昭38(1963)〜40(1965)年度にかけて大阪市電901形ばかり毎年10両、計30両を購入した。これは輸送力増強のために新造車を購入するより中古車を買った方が安上がりだということで、購入実績もあり、また当時自動車ラッシュに押されて次々と路線を縮小していった大阪市電に照準を定めた。

 大阪市電の登場理由は、単に輸送力増強だけではなかった。昭26(1951).4.24、国鉄桜木町駅直前を木造の国電が走行中、パンタグラフのスパークが原因で火災を起こし、死者106人、重軽傷者72人という国電史上最大の惨事である「桜木町電車火災」事故があった。この事故により運輸省から「木造車の不燃化対策を早急に図れ」という通達が全国の鉄道会社に対してあった。当時33両の木造単車を抱えていた熊本市電は、木造車追放の意味からも半鋼製ボギー車を必要としていたわけである。

 大阪市電901形の購入決定に際しては、多くの車両が候補にのぼった。半鋼製小形ボギー車としては901形の他に801形が、半鋼製大形ボギー車としては1601形、1701形、1711形などがリストアップされた。しかし、大形ボギー車では全長が13m以上もあって長すぎる(当時の熊本市電の最長のものは12.8m)ことや、良好な状態で、しかも制御器などの機器の種類が揃うことなどから、最終的に901形に落ち着いた。

 901形は、昭11(1936).1.から田中車両、日本車輌、梅鉢鉄工所の3社で合計50両(901〜950)製造され、最大寸法11,590mm×2,488mm×3,800mm(ビューゲル高さ)、自重14tonとボギー車としては長さが短く、幅が広いというずんぐりとした感じの車両で、昭和初期に流行した流線形スタイルは前後のみならず左右にまで及んでいる。台車には住友製鋼所のブリル77E、電動機にはGE社のGE-247Aで40HP(27.4kW)のもの2個装備している。この独特のスタイルは旧1001形の改造車858形や旧2001形(のちの861形)にまで及んだ。

 旧1001形の機器を流用して車体を更新した858形は昭11(1936).7.に田中車両と梅鉢鉄工所で23両(858〜880)が製造された。車両要目は901形と同一であるため、戦後901形に統合された。従って今後の大阪市電901形の記述は、すべて新番号に依るものである。(詳しくは「大阪市交通局五十年史」などを参照のこと)

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385号の竣功で記念撮影 体育館前を折り返す397号

 昭38(1963).大阪市電901形10両は制御器をKR-8に揃えて熊本に到着した。入線のための改造は自局で行われ、昭38(1963).11.〜39(1964).2.にかけて順次整備され、昭39(1964).7.4付で竣功した。外形的には方向幕まわりの改造程度にとどめられ、塗色が熊本市電色(上半分クリーム色、下半分紺色)に変更になった程度である。定員は大阪時代の60人から73人に変更された。なお形式の380は昭38.にちなんだもので、これは390形、400形も同様である。

380形旧番対照
大阪市電 905 922 927 928 929 930 936 937 940 945
熊本市電 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389

 380形の入線で60形5両、80形5両が廃車となった。

 翌昭39(1964).にも901形10両を一両当たり115万円で投入、昭39(1964).11.〜昭40(1965).3.にかけて改造・整備を行い、昭40(1965).4.16付で竣功している。この年は昭40(1965).2.21限りで川尻線が廃止されたので、10形15両、60形3両、貨車と撒水車それぞれ1両ずつが廃車となった。

390形旧番対照
大阪市電 913 923 944 948 949 950 951 952 957 959
熊本市電 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399

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404号は正面窓の形状が違う 改造中のワンマンカー1000形

 昭40(1965).にも901形を10両購入したが、この年は5両を400形に、あとの5両を熊本市電初のワンマンカーである1000形として出場させた。390形と400形は380形と同一設計なので車両増加届ですませているが、1000形は昭41(1966).1.20付で車両設計認可を得たあと、ナニワ工機(現在のアルナ工機)でワンマン改造を受けた。前部扉は折戸のままドアエンジンが取り付けられ、方向幕なども改造された。いずれも昭41(1966).3.22付で竣功。この前後に10形5両と70(2代目)形2両が廃車となり、単車は全滅した。

400形旧番対照
大阪市電 926 931 932 939 947
熊本市電 401 402 403 404 405

 400形は一両当たり140万円、1000形はワンマン改造費も含め約290万円であった。

1000形旧番対照
大阪市電 909 911 925 935 953
熊本市電 1001 1002 1003 1004 1005

大阪市電901形61両のうちほぼ半数の30両が熊本へやってきたわけで、「大阪さん」の愛称で親しまれ、大量輸送に一役買っていた。これらの車両は坪井線では京町口のカーブの関係から、また川尻線は多くのカーブと十禅寺の国鉄豊肥本線ガードをくぐる時の高さ不足からいずれも走ることができなかった。従って4と7の両系統には投入されず、他の系統、特に2と3系統でしか見ることができなかった。

 しかし、電動機のパワーが40HP(27.4kW)×2と他のボギー車の50HP(38.0kW)×2より劣っていたため運行に遅れが出たり、また製造年が昭11(1936).と古かったために状態が悪くなる車両が続出した。そのため昭44(1969).4.5付で380形3両、390形3両、400形2両が廃車となった。さらに昭45(1970).4.30限りで坪井線と春竹線が廃止となるのに先立ち、同4.1付で380形3両、390形5両、400形2両が廃車され、6.20付で休車となった残りの7両も、120形とともに昭46(1971).4.15に廃車となってしまった。この間、市電の他のボギー車のワンマン化や、昭47(1972).2.29限りで子飼橋線が廃止されたため、残った1000形ワンマンカーも同4.1に3両、8.22に2両が廃車となり、大阪から来た901形は9年ほどで熊本から姿を消してしまった。