瑩光保育園の25号(23-2、25-2、45-12)

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保育園の奥の25号 日が当たらない部分はオリジナルの色

●25号を訪ねて
 1989年5月某日、交通局に次のような内容の電話がかかってきました。
 「23年前に市電の廃車体を譲り受け、保育園の事務所として使用してきたが、創立30周年の記念事業として園舎を全面改築するにあたり、電車を何とかして残したいと思っていたが、建ぺい率の関係で廃棄するか、敷地外へ移動するかの方法しかなく悩んでいた。そんな時に市長の考えの中に「乗り物博物館」の構想がある事を知った。この電車は由緒あるものだし、できれば解体したくないので、交通局で何とか引き取って利用して頂けないか?」
  6.1この話を聞いた私は、翌々日にこの電車を訪ねてみました。
 場所は交通センターからバスでおよそ20分。市電の上熊本駅前からは徒歩で20分の、花園小学校のすぐ近く、瑩光(えいこう)保育園の庭にありました。
 さっそく園長先生の許可を頂いて撮影開始。車体の破損状況も調べてみました。
 まず目につくのは車体の上に乗っているスレートぶきの屋根。やはり雨漏りがひどかったのでしょう。搬入後2・3年で取り付けたそうです。
 側板は直射日光が当たる部分は色があせ多少痛んではいるものの、その他の部分はほとんど廃車当時のままの状態です。
 車号も局章もしっかりと残っており、窓枠もさほど痛んでいません。ただ扉が一枚アルミサッシのものに取り替えられていました。
 車内にも入らせて頂きました。中を事務所として使っているため、かなりきちんと整理されていました。
 室内灯は蛍光灯に取り替えられてはいるものの、白熱灯の取付部分も残っていました。
 そして嬉しいことには、運転台の上には車掌の合図鐘(紐を引いて「チンチン」と鳴るアレです)が、2か所ともしっかりと付いていましたし、旧式の方向幕巻取器もありました。
 写真撮影の後、園長先生にお話を伺いました。
 「昭和40年の川尻線廃止後、うちをはじめ、 報徳・仁愛・ひまわり・湖東などの各幼稚園・保育園に電車が無償で払い下げられました。当時どこも輸送費用を出すのが難しく、どうしようかと知恵を絞っていました。当時の報徳保育園長住友武先生と当園長の村本勇(いずれも故人)が自衛隊との交渉を思いつき、その結果「輸送訓練」の一環として電車を設置することになりました。ただ、うちと報徳は途中の道幅が狭くどうしても自衛隊の大型車両が入ることができず、民間の小型クレーンなどで電線をよけながら搬入したため、当時の金で約8万円の輸送費を払いました。」
 「私としましてはこの由緒ある電車をいつまでも残したいのですが、建ぺい率の関係であきらめなければなりません。ちょうど今年は市制100周年の年でもありますから、この際ぜひ交通局さんに引き取って頂き資料館などとして活用されるようお願いしたいところです。交通局前の1062号よりはこちらのほうがいいですョ。」
 先生のこのお話、私自身確かにひまわり・湖東の両園には電車があったことをはっきりと覚えています。仁愛の23号はまだ残っていますし(当時)、ひょっとしたら他の電車も立ち腐れかなんかで残っていやしまいか?などと考え、追跡調査をやってみることにしました。
 25号の今後の幸福を願い、別れを告げました。

●帰ってきた25号
 市内の瑩光保育園に23年間保存されていました市電25号の返還日程については、園舎改築との関係から延び延びとなり、いつになるのか決っていませんでした。
 しかし、’89.10.19に突如として返還され、25号は久しぶりに古巣に戻ってきました。

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お別れの記念撮影 クレーンで吊り上げられる

 10.17、おもしろ交通デーで売れ残った電車部品を押さえるために交通局に電話したところ、「19日昼に25号が戻ってくる」という情報を得ました。
 当時私は「毎日深夜まで残業の土日なし」という悲惨な生活をしていたため、とても仕事を休んで取材に行くという状態ではありませんでした。
 同日夜、某同好会の某A氏とO氏に、何とか代わりに行ってもらえないか電話したところ、あいにくと両氏とも不在。翌日同僚を拝み倒して、19日に予定していた業者との打ち合せを一日延期してもらい、どうにか行くことができました。(おいおい!!)
 当日の空模様は曇、雨でも降りそうな雰囲気。写真撮影にはちょっと不利な条件です。
 さて12:30、現場に着いてみると、園舎の解体もすでに終了し、25号だけが敷地の片隅にポツンといるだけでした。障害物がないため、車体の全体を撮影できるのは、ここではこれが最初で最後となりました。
 近づいて車体を調査してみますと、コンクリートとの土台とはすでに切り離されており、すぐにでも搬出できる状態。しかし、地面に近い裾の木造部分はかなり痛んでいました。また、車体台枠も鉄骨とはいえかなり腐食が進んでいる様子。このまま吊り上げたら折れるのではないかという心配もありました。
  13:00過ぎ、大型クレーン2台と搬送用トレーラー、運搬用資材を積んだトラック各1台が到着。作業の準備に取りかかりました。
 また、瑩光保育園では長い間お世話になった25号の労をねぎらうために、園児35名とお母さん方そして園長先生、保母さんらによるお別れ会が25号の前で行われました。園長先生、交通局職員の挨拶の後、車体に花束を贈呈(車体に取付)、記念撮影を行いました。
 いよいよ25号の搬出となりました。車体前後のバンパーにベルトを取り付け、クレーン車で慎重に吊り上げました。もともと車体だけの重量は3t程度ですから、楽に吊り上げられるのですが、木造の老朽車なのでかなり神経を使っているようです。
 車体は向きを変えて一旦地面に置かれた後、再び吊り上げられ、トレーラーに積まれました。トレーラーとはいっても、ちょっと大きめのトラックという感じで、これに長さ8.8m、幅2.3mの車体がちょこんと載せられました。あとはしっかりと固定されて出発です。
 当初深夜の搬出予定だったのですが、園舎が解体されて道幅の広い方から搬出できるため、昼間に変更されたそうです。
 ここまでの所要時間はおよそ30分。木造単車だったのでこの様な短時間ですみました。

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電報局前を堂々と行進 人力で13番線奥に

 14:00前、25号は交通局へ向けて出発。車体にシートもかけずに街中を白昼堂々の行進です。保育園→本妙寺前→広町→水道町→大江車庫というルートで搬送されました。わたしは先回りして電報局前の歩道橋の上で待ちかまえ撮影しました。残念なことに並走する市電はありませんでした。
 大江車庫に到着する頃にはとうとう雨が降り出しました。
 帰ってきた25号は職員らが見守る中、車庫の一番奥の13番線に降ろされることになりました。車体を吊り上げ、そこに仮台車を押し込み、車体を降ろすという手順で行われ、無事に終了。
 横に並んだ1082号と比べるとかなり小さな車体であることがわかります。
 25号は当分このままで、その間に木造車の修理を経験したOBを探し出し、車両の復元を手伝ってもらって何とかしたいということです。(それにしても長崎電軌に行った西鉄の単台車は惜しかった!!)
 余談ですが、この搬送を取材にきたマスコミは新聞社1社、テレビ局2社でした。このうちKKTでは磐根橋付近を搬送している様子を後ろから追っかけて撮影した映像が放映されました。

●25号の最後
 廃車後市内の保育園で23年間保存された後、’89.10.19に大江車庫へ戻ってきた25号が、’92.9月某日、何の予告もなして突如として解体されてしまいました。
 私がそれを知ったのは11月に入ってからでした。解体の理由を伺ってみますと、91年、92年と度重なる台風などによる被害がひどく、保存できるように修復するにはかなりの経費と時間がかかることと、乗り物博物館(交通資料館)建設の見込みが全くなく、またその話をぶちあげた(当時の)市の上層部も口だけで金を出さない。 など複雑な事情があったようです。
 内部事情は色々あるものの、日本人の文化意識の程度が低いことがこんなところにも現れ、なんとも残念でなりません。